病院に行ってきます。

深夜3時半にまた鬱状態になって、トイレで嘔吐しました。
ここ最近は本当にそんな日が続いています。


何もやる気がおきないのに、やらなくてはいけないことがたくさんある。
鬱と自制心の鬩ぎあいで、今のところはどうにか生活が送れているけど、
そろそろ限界に近いかもしれない。


人生の中の、自分の望むものがすべて手に入らない。
それがコンプレックスとなっている。
生きられる環境があって、そんな贅沢を言うな、という意見もあるかもしれないけど、
幸福、不幸の基準は通貨のように、その[不[幸]福]のスタンドポイントによって変化すると思う。


堕胎手術で死ぬ胎児や、女衒に買われる女性や、被害者やその加害者がどんなスタンドポイントに立って
自分の不幸を嘆くか。
堕胎によって責任を免れた親や、女を買って生きる商売の人間や、自分の欲望を満たした犯罪者は
どんなスタンドポイントに立って自分の幸福を尊ぶのか。


中には僕の人生を幸福だと思う人もいるかもしれないが、僕は自分の人生を幸福として見られる
ポイントには、残念ながら立っていない。



明日は病院に行ってきます。すみません。

久しぶりの更新

とある友人がはてなブログをやっていたのでまたこちらに帰ってきました。
mixiだと友人の層が不特定多数すぎて書きたいことがかけなかったりするので、
時間があるときにはなるべくこちらを更新していければいいかと思います。


自分の癖として、日記がある程度たまってくると全部消去してしまうんだけど、
実にもったいないことをしていたなーと思います。

昔もそれなりにいろんなことを考えていて、結構な記事を書いていたから
過去の自分に何かヒントを得られた可能性もあったかもしれないのに。


これからは消さないよ(たぶん)

このブログのタイトル由来

「listen10」と言います。
直訳すれば「10を聴け」ってことですね。

「1を聴いて10を知る」という言葉があります。
こうやって生活していると、時たまいわゆる天才という単語に当てはまるような人に出くわします。
そういう人に出会ったとき、「頭がいい、要領がいいってうらやましい」と羨望します。


でも、そうやって「天才」といわれてる人でさえ、「1を知ったときに1のままでいる」ということは
絶対にしていません。
むしろ、それらの知識をどんどん取り入れようとする態度こそ、頭がいい人と思われる人の
大きな要素なのではないかと思います。


残りの「9」を学ぼうともせずに、賢さを恨めしがっているだけではいけない。
「どんな方法でもいい、1を知ったら残りの9を取り入れようとする努力をしよう」という
そういった意味を含めて「listen10」と命名しました。


色々仕事をしてる中で、1を知ったときに何もせずに「わからない」と投げ出してしまう人の多いこと。
「10」すべてを知ったとき、物事の本質が見えてくるわけなので当然といえば当然なはずです。


「10を聴く」
それを目標としていきたいものです。

アイデアは既存の要素の組み合わせにほかならない

この言葉は「アイデアの作り方」という有名な本の著者である、ジェームズ.w.ヤングという人が
本の中で述べていたものです。
僕も学生という立場は、学業上、日頃からアイデア出しが求められる状況にいます。
僕は昔から意見を求められると、机の上で腕を組み、頭を抱え、考え込んで「アイデア、アイデア」と
ひたすら「新しいアイデアが天から降ってくること」を望んでいるタイプの人間でした。
当然、そんなに都合良くアイデアが出てくるわけはありません。
そんな自分を横目に「こんなのはどうだろう」とパッとすばらしいアイデアを口に出す人がいました。
こういった人たちはどうして簡単にアイデアが生まれてくるのだろう。
きっとそもそもの頭のできが違うのだろう、と半分諦めているときこの本の言葉に出会いました。

「アイデアは既存の要素の組み合わせに他ならない」
つまり、アイデアとは天から降ってくるような偶然的なものではなく、
自分の頭の中に持っている要素を組み合わせることなのです。

ということは、アイデアを出すために必要なのは、
「天才的な才能やひらめき」ではなく、「自分の中にどれだけ要素を持っているか、それをどうやって組み合わせるか」
ということなのだと言えるでしょう。
そして、その要素を集めていく、組み合わせて行く技術や方法を知ることこそが
イデアを生み出すための一番重要なファクターである、とも言えます。
自分の周りのアイデアマンは、自分に比べて天才なのではなく、それら要素収集、組み合わせの技術を
より多く知っているだけなのです。


次回、その技術や方法を紹介していきたいと思います。

アフォーダンスとは?

アフォーダンスとはアメリカの心理学者J・J・ギブソンが提唱した、
認知心理学における概念のことを指していて、それは
物は、人間(や動物)に知覚や認知を促す要素を含んでいるという考え方です。
よく例えられる例としては、椅子は人間がその使い道を知らなくても「座る」という行為を
自然に促してくれます。また、ドアのノブの形状によって、それが引き戸なのか、押し戸なのかを
知らされることなく理解することができます。
こういったアフォーダンスという要素をコンテンツプロダクトの際に積極的に取り入れていくことで、
ユーザビリティを向上させることが出来ます。


物質がユーザにアフォードするものは、そのユーザによって違いがあります。
絵画を鑑賞したときに、それが何を表現したいのかという受け取り方が人と違うように、
受け取り側のユーザの環境によって物が与えるアフォーダンスも受け取られ方が変わってくるのです。
こういった意味でも、物から発信されるアフォーダンスは単に一つの物とは言えません。
物はラジオ局のように様々なアフォーダンスを発信し、ユーザの持っている周波数と合致したときに、
それが何のために物なのかということを認知することができるのです。


「誰のためのデザイン?」の著者のD・A・ノーマンは物をデザインする際には
ユーザに対して、それがいったいなにを「アフォード」しているのかを明確にデザインする必要があり、
「形」ではなく「アフォーダンス」をデザインするべきであると述べています。
アフォーダンスを正確にユーザビリティの向上のために利用していくためには上記のように、
ユーザによって違うアフォードをきちんとデザインしていくべきであると言えるでしょう。

実世界指向インターフェースとは?

例えば、あるファイルをフォルダの中に入れたいとする。
かつてはそういった動作を行うためには、そのアクションに対するコマンドを人が記憶して
コンピュータに指示を与えなければならなかった。
それがosの改良により、現在ではファイルをフォルダにドラッグ&ドロップで格納できるようになった。
この動作はコマンドラインを覚え、pcに指示を与えるよりもはるかに親しみやすいと言えるだろう。
フォルダを開きたかったらそのフォルダをクリック、消したかったらゴミ箱まで運べばよい。


じゃあ、それをさらに突き詰めていったらどうだろう。
フォルダを開きたいときに、画面上のフォルダアイコンの蓋を引っ張るとフォルダが開く。
消したいときには消しゴムで消すようにぐちゃぐちゃと指でこすると削除。
現在のパソコンのインターフェースでも十分実用はされているが、未だにマウス、キーボードといった
バイスの入出力の過程がある。
それと取り払って、パソコン上の動作と現実に行う動作のギャップを縮めることによって、
人は難しい動作を要求されることなく、そのシステムを扱えるようになると言える。


計算機内部データと現実の事物のあいだ のギャップを最小にすることによって、計算機を意識せずに
透過的な存在として活用する手法を実世界指向インター フェイス と総称します。

増井俊之「インターフェスの街角」 http://pitecan.com/UnixMagazine/PDF/if9808.pdf